Interview

「動物由来素材 活用連携 膠と墨」

青木芳昭(京都造形芸術大学 教授)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

「絶滅危惧の素材と道具」は、2015年の21世紀鷹峯フォーラム in 京都から始まりまして、膠がテーマだったのですね。現在、日本には保存修復や絵画表現に使う和膠という本当の膠がないのです。2010年で生産停止になりましたので生産できていないのです。2000年頃から質が悪くなってしまい、後継者がゼロになってしまいました。いま使われている膠は和膠ではなく、ゼラチンを昔の膠のような形にしたもので売られていて、それでかろうじて画が描かれている状況です。それには添加剤が入っていますから、100年後にもきちんと絵具が定着できて、安定していることは難しいことです。でも、それで普通に描かれているのが現実ですし、そういう教育がされています。将来、本当に膠主体の日本美術が存在しているかどうかという危機感があるのですね。一部の伝統工芸後継者たちは、「先代、先々代が残した膠を使ってかろうじてやっている」と話しているのですね。

私たちはなんとか和膠を復刻して、安定供給ができるようにすることが、鷹峯フォーラムの使命だと思って取り組んでいるわけです。2015年は京都丹波で捕れた鹿の皮から和膠を復刻しています。2017年の金沢では、2015年、復刻された鹿膠をもとにつくられた墨を2年間寝かせ磨るところまでまでこぎつけようとしています。

私の大学の学生のなかには膠の危機を知って、すでに第一種銃猟免許と罠免許まで取得し、自身で鹿をしとめ、自分でさばいて、毛を刈り取り、和膠をつくることを目標にして、大学院に進みたいという学生まで現れたのです。それは、自分たち美術家の使命感ですね。「残したい、残すべきだ」という人は残せないのです。残すために情熱を傾ける人がいなければ、本物がなければ、文化財は次世代に橋渡しができないのです。そういう情熱を持っている人がひとりでも多くなるために、この21世紀鷹峯フォーラムがあります。わかりづらい、伝わりにくい伝統が素晴らしいということはあり得ない。いまの時代に100年後に残るものは何だろうと考えないといけません。

過去につくられた膠についての膨大なサンプル資料と科学的データといった裏付けは私が収集保管しています。これまで多くの博物館、美術館や各大学はそういうことをしてこなかったのです。30数年間、私は収集分析をしてきたのですが、ようやく日の目をみて、「創造する伝統賞」(公益財団法人日本文化藝術財団)を受賞しましたし、若い人たちにつながってきたということですよね。

本朱という絵具も、生産しているのは残りの1社だけになったわけですよね。それらも品質のレベルを上げないといけないとかありますが、本物がなくなっても絵は描いていけるのです。でも、日本の文化とか過去の作品をちゃんと理解するためには、きちんとした素材や道具がなければ、伝わりづらい、どうして美しいのかがわからない、文化すら理解できなくなります。そのための素材と道具はきちんと後世まで伝えて、残すべきものは残す。日本で多くの人が保存修復に携わっていますが、そのための道具も素材も危機的状況です。おかしなことでしょ。この研究を通し、きちんと次の世代につなぐためにやっています。

この活動をはばむものは何でしょうか

多くが日本の危機的状況を認識できていないため、教育できる人がいない。だから、教育者をつくれないのです。日本は、楽な方へ便利な方へ、逆淘汰されてしまったのです。いまは北京もニューヨークもロサンゼルスも、きちんとした作品の裏付けがない限り、2年ほど前から素材や技法の安定した証明がない限りはコレクションしないとはっきり言っているのですね。世界ではハンドメイドの絵具が主流なのに、日本ではアクリルとか合成樹脂のミクストメディアが氾濫していて、それはもう美術界では「危険を伴う」とはっきり言っているのに、教育の現場もギャラリー、美術館も世界の現状を知ろうとしないのです。もう、本当に心が痛いですね。

私は海外の美術館からは一週間連続のワークショップ講演を頼まれますが、日本の美術館では佐藤美術館だけです。日本人には危機感がないのです。美術工芸がなくなっていいということはないのです。かなり立ち遅れているという部分があります。素材学をやっていると、日本で美術市場がゼロに近いというのは、原因が良くわかります。

今後はどのような展開をお考えですか

ものをつくる人、ものを使う人、作家や工芸家であるとかいろいろな職人さんと使い手の間を『つなぐ人』がいないのですね。日本の問屋制度や使い手にもっとも近い小売店が『つなぐ人』であるべきなのに、そこがもう機能していないのですね。漆器のいいものをつくっても理解されないので、プラスチックだろうが木だろうが似た色が塗ってあれば同じじゃないかと思われてしまう逆淘汰の時代なのです。本質的なもの、本物を理解できる人がいないのです。そこの教育ができない限りは、いくらやってもだめです。今日のここも教育の現場でしょ。教育ができなければ、いいものがいいとはわからない。教育改革ですね。教育というのは文部科学省ではなくて、つなぐ人が教育改革をしなければいけないですね。「つくる人」と「使う人」をどうつなぐか、「つなぐ人」がいないのです。これまでは美術館、博物館がやってきたのだけれども、ちょっと違うのではないかな。つなぐ人をどう創出して、次の世代につなげていくかということが、「つなぐフォーラム」ですから。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#01 青木芳昭