「私の好きな工芸」 池坊専好氏

「富岡鉄斎絵付けの煎茶器」
池坊専好氏

今回「私の好きな工芸」に出品して頂けるものの一つは池坊家に伝わる富岡鉄斎が絵付けをされたという煎茶器、それにまつわるお話からも文化サロンだった京都の雰囲気が伝わってきました。

池坊専好氏
池坊専好氏
華道家元池坊次期家元

華道家元四十五世池坊専永氏が家元を継承して70年を迎えた今年、11月11日から開催された江戸時代の宮中行事に由来する「旧七夕会池坊全国華道展」を機に、次期家元池坊由紀氏は名を法名である「池坊専好」に改められた。

日本には、もともと常緑樹に特別な意味を見出し、神の依代として信仰したり、仏前に花を供える風習があった。室町時代になると、床の間の原型といわれる押板や違い棚などが設けられ、花瓶も飾られるようになり、「いけばな」が成立する前提が整ってくる。

1462年、六角堂の僧侶・池坊専慶氏が武士に招かれて花を挿し、京都の人々の間で評判となったことが、東福寺の禅僧の日記『碧山日録』に記されており、ここに日本独自の文化「いけばな」が成立したと考えられる。つまり池坊家は「いけばな」の550年を超える歴史を担ってきたといえる。

このたび改められた「専好」という名は四代目にあたり、初代は安土桃山時代に遡る。池坊専好(初代)氏は1594年、秀吉を迎えた前田利家邸に大砂物を立てたことで知られており、続く専好(二代)氏は、後水尾天皇の時代に立花を大成された。三代専好氏もまた災害に遭った六角堂の再建に尽くした方で非常に重要な意味をもつ名を継承されることになるのだ。

出品して頂いた煎茶器は富岡鉄斎氏が絵付けをし、奥様の春子氏が焼成されたものである。明治維新による東京遷都で京都の誰もが衰退を怖れた時期、活躍された池坊専正氏は富岡鉄斎氏と交友関係があり直接頂かれたものだ。専正氏は1879年から京都府女学校の華道教授に就任され、女性に対するいけばな教育にも力を注がれた。氏は富岡鉄斎氏だけではなくジャンルを超えて多くの文化人と交友されたという。揺れ動く時代の文化的な京都の空気感が感じられる作品である。

少し大きめの塗碗は、能登半島の旧柳田村で作られ使用されていた古椀である合鹿碗を再現されたものである。今年は琳派四百年にあたり、蒔絵師の下出祐太郎氏と専好氏がコラボレーションされて作られた作品で、描かれている花はサンダーソニアという名、専好氏が好まれている花である。塗碗としては、今までにないモチーフで現代の琳派を意識してデザインされた専好氏の個性が活かされた素敵な碗である。

※華道家元池坊の歴史についてはhttp://www.ikenobo.jp/参照