「物語があるものたち」
熊倉功夫氏
今回「私の好きな工芸」のコンセプトを考えるうえでも、とても重要だった品々が並びます。物語がある、「お茶」にまつわる掛物や茶碗です。
熊倉功夫氏
静岡文化芸術大学学長
熊倉先生は大学というアカデミズムの中で、茶の湯について語ることを続けて来られている稀有な存在である。熊倉先生の言葉は大学の近代的な枠組みで雁字搦めになった人間にもしっかりと届くものである。熊倉先生は「茶の湯は、五百年の歴史のなかで洗練され創り上げられてきたもので、説得力があり、その面白さは多くの人に伝わる。たとえば、茶の湯を知らなくても、長次郎の茶碗に存在感があることは感じられる。しかし、茶の湯は様式だけではない。そこにどういう人がいて、どういう感覚で創り、その人はどういう人生を過ごしたかを味わうことがお茶だと思われる。いかに芸術的に素晴らしいものであっても、反対にガラクタのようなものであっても、そこに『お茶』の物語があれば、それが『お茶』である。たとえ茶人であっても、『あの人にはお茶がない』、『あの人にはお茶がある』と言われる。『お茶』というのは何なのかを言葉で伝えるのは難しい」と話された。
今回出品されたものもお茶にかかわるもので、そこには物語があった。茶碗の作者は貴志弥右衛門といい、近代数寄者の一人である。大阪の繊維問屋を継ぎ、東京帝国大学卒業後は教育者ともなった変り種である。早くから茶の湯と禅に親しみ、昭和初期に総合文化雑誌『徳雲』を独力で刊行するという文化人でもある。
弥右衛門の息が貴志康一といって、はじめはバイオリン奏者として渡欧、ジュネーブ音楽院に学んだが、その後は作曲に転じ、戦後日本人としてはじめてベルリンフィルの指揮者となるなど、天才の名をほしいままにしたが、わずか28歳でなくなった。
熊倉先生は近代の茶の湯を研究する中で貴志弥右衛門の存在を知り、その縁でそのお嬢さんで康一の妹にあたる山本あやさんと出会ったという。あやさんはとても美しい方で、亡き兄康一(この方も美男)の功績を世に残したいと願っておられた。そのあやさんから熊倉先生に遺されたのが、この弥右衛門自作の茶碗と大谷尊由作「鶏・狗図」である。大谷尊由は僧侶・文人・政治家として活躍し、茶人としても知られている。この絵もご縁があって山本家に伝わったという。