インタビュー:青木芳昭

失われつつある道具・材料
手に入らないものは、つくるしかない

青木芳昭

青木あおき芳昭よしあき 京都造形芸術大学 教授

1976年、パリ留学、ル・サロン名誉賞受賞。1983-84年、パリ留学。1989年、安井賞展出品。1991年、東京セントラル美術館油絵大賞展出品。1996年、銀座資生堂ギャラリー個展。1997年、安井賞展出品。NHKハート展出品。2011年、「よくわかる今の絵画材料」出版(生活の友社)。2011年〜退蔵院プロジェクト参加。2012年HAPiiプロジェクト参加。京都技法材料研究会・会長。アカデミア・プラトニカ代表。

「膠(にかわ)」 について

21世紀鷹峯フォーラムのメインシンポジウムのテーマでもある「100年後に残る工藝のために」という事では、やはり失われつつある道具・材料をどのようにしていくのかということが大きな議題として挙げられると思います。

たとえば、日本の美術・工芸の現場で保存修復や作品制作の双方においてとても重要な膠ですが、その生産状況が危うくなっていることについて現在、科学的見地をもとに議論がなされることはほとんどありません。

美術・工芸の基本的な素材である膠の根本の部分、つまり「膠とは何か、膠の成分とは何か」「日本画において『礬砂がきく』とはどのような状況を指すのか」といった事柄を、あらためて研究してないといけない段階にきていると思います。

江戸時代には、36種類もの分類で使い分けがされていた膠ですが、その使用方法が感覚的な口伝によって伝承されてきたので、現在ではあまり明確な分類がなく、使い分けもされていません。

いま一度、美術は科学技術でもあるのだという所に立ち返り、様々な角度から素材を見直していく必要があるでしょうね。そのように論理的に考えていく習慣も次世代に残すべきだと思います。

ないものは作るしかない

美術も工芸も、実際手に入らないものが出てきたときにどのように対処すべきかを考えないといけませんね。それはもう、作るしかない。確かに、戦前までの美術・工芸はその時代ごとに合わせた、その時々で最も安定して手に入りやすい素材で構築されてきた歴史があります。昔はそれでも品質の高いものが手に入りましたが、やはり現代では一概にそうとは言えません。バランスが崩れてしまっているところもある。だからこそ、”残そう”という明確な意思を持って動いていかないといけない。

もちろん、天然素材に関しては限界もあります。ただ、本当に材料がなくなったものはまだ数が少ないですよ。まずは現存する材料を活かすその仕組みづくり環境整備をしっかりとしないといけません。

新たな感性を表現するためには、現代的な素材が適していることも多くあります。ただ、昔の作品を深く理解するためには、その時代の材料・道具がどのようなものであったのか、という部分も非常に重要になってきます。それらを知ることで、現代の素材でしかなしえない表現があることも自ずと見えてくる。ひとつの価値観だけではなくて、もっと多角的に捉えながら、新しい素材への挑戦も忘れてはいけないでしょうね。

12月4日の「絶滅危惧の素材と道具」でも、そういったことを今一度深く業界全体で考えていく必要性が共有できると思います。鷹峯フォーラム全体が、ゴールではなく新しい議論のスタートになる気がしています。それを契機として、官民による仕組みづくりの土台を見据えるような動きになっていくでしょうね。

材料はまだ失われていない

現在、増えすぎた鹿や猪による獣害が各地で問題になっていますよね。そういった動物の皮から高品質な膠がつくれないかと試行錯誤しています。また、肉は食用に、骨や角は工芸材料として使うなど、かつては機能していたであろう循環型のサイクルが整備できれば、新しい発見や技術の向上が保存修復や工芸製作の現場で起こると思います。

また、こういったことは公設民営のような形で実現すべきなのではと考えています。材料もあって、今はまだ作れるひと・技術も残っています。ただ、採算ベースが噛み合っていないから、どうしても後手に回っているところがある。

まだ誰も本格的に取り組もうとしていませんが、素材・材料・道具の研究と作成・供給は現在まさに行うべき仕事であると思います。そういう動きを業界全体で共有するためにも、科学的なアプローチや数値による裏づけが必要になるでしょうね。

今ここから見直していかないと、失われていく素材・道具がたくさん出てきてしまう状況下にあると思います。もちろん、量産品が悪いというわけでは決してありません。どのような素材・材料・道具が、どのような場所で使われるべきなのか、という部分をきちんと言語化しないといけない。そうすることで、日本の美術・工芸が世界で通用する強度を獲得していけるのではないかと思います。そういった意味でも、現代はちょうど過渡期にあたるでしょう。